地元に雇用を生み出し、恩返しをしたい。家業の事業継承を目指す平岡が、BOX福岡拠点長として学び得るもの
BOXには、実家が家業を営み、事業継承を視野に入れているメンバーが複数在籍しています。今回紹介する平岡司もその一人。「いつか継ぎたい」——そんな思いを持ちながら、ビジネスについて、経営について学び、成長するためにBOXを挑戦の場として選びました。
そんな平岡が歩んできたBOX(セブンリッチグループ)での3年間はどのようなものだったのでしょうか。話を聞きました。
実家を継ぐために、経営を学びたい。セブンリッチグループ入社の理由
——初めに、セブンリッチに入社するまでについて教えてください。
僕は佐賀県唐津市の、石油販売業・自動車関連業を営む家庭に生まれました。父が始めた会社を30歳を目標に継ぎたいと幼いころから思っていて、大学は経営学部に入り、スタートアップ企業などでインターンをしながら学生生活を送りました。
——子どものころから「継いでほしい」と言われてきたのですか?
いえ、そういうコミュニケーションを取ったことは一度もありません。ただ、幼いころから父の会社の飲み会、地域の総会などに連れて行ってもらっていたので、「父のようになりたい」といつしか思うようになっていた気がします。
地域の人に愛される父の姿を見る中で、僕も地元が大好きになっていきました。地元に住み、自分が事業をすることでその街に貢献できる。雇用を生み出し、人の笑顔を作り、豊かにする。それが自分の幸せであると物心ついたときから思ってきたので、家業を継ぐのは自然な流れでした。
——家業を継ぎたいと思いつつも、大学卒業後すぐに実家に戻ったわけではなかったのですね。
そうですね。いつかは家業を継ぎたいと考えていたものの、一度社会に出てビジネスマンとしての力をつけるべきだと思っていました。
早くから社会勉強をしたいと思い、大学3~4年では人材業界のインターンをしていました。楽しく学びも多かったので、その会社に正社員として就職しようと思っていたのですが、卒業を間近に控えて改めて自分の人生を考えたときに「ここではない」と直感的に思ったんですよね。
その時点で4年生の2月。その年度の新卒採用はとっくに終了していたので、知り合いに声をかけてなんとか入れそうな企業を探していきました。その中の1社がBOXの親会社であるセブンリッチグループでした。
オフィスに話を聞きに行ったら、そこにはBOX代表の角田さんがいました。「遊びにおいでよ」くらいに言われていたのに、実はそれが一次面接。その後あれよあれよという間に内定が出て、セブンリッチへの入社が決まりました。
——BOXへの入社が決まったということですか?
いえ、実は最初は違ったんです。角田さんとの面接を経て決まった僕の配属先は、不動産事業部。大学卒業直後でしたし、不動産経験はもちろん、社会人経験すらないまま、事業部の2人目社員として入社しました。
——それはチャレンジングな環境ですね…!セブンリッチに入社を決めたのはなぜですか?
もっとも惹かれたのは、2人目社員として、事業部を1から立ち上げるポジションに入れる点でした。経営を基本から学ぶ良い機会になると考えました。また、実家が家業を営み、事業継承を視野に入れているという角田さんのバックグラウンドにも近いものを感じ、納得感を持って選択したのがセブンリッチでした。
1年足らずで拠点メンバーへ
——不動産事業部での仕事はどうでしたか?
意気込んで入社したのですが、不動産事業部ではまったく成果を出せませんでした。半年ほどで、「もっと角田さんの近くで働きたい」と思うようになり、BOXへの異動を希望しました。2022年5月にセブンリッチに入社し、2022年11月にBOXにジョインしました。BOX異動後は順調に売り上げを作れ、2023年の上期には現COOの長山さんに次ぐ2位にまでになれました。
——なぜBOXに異動してすぐに成果を残せるようになったのですか?
ひとつは事業への関心の高さの違いです。不動産事業部には、立ち上げフェーズであることに惹かれて入社していました。そのため、正直、不動産という領域そのものにはあまり興味がなく…。また、個人賃貸の仲介は需要の多い仕事ではありますが、お客様は必要に迫られて転居をされるケースが多いので、住む家が決まっても「ものすごくうれしい!」という感情にはなりにくい。誰かを幸せにしている感覚が持てなかったのも、不動産業に熱中できなかった理由のひとつかもしれません。
一方でBOXは、候補者さんの仕事だけでなく、人生そのものに徹底的に向き合う仕事。転職先が決まったときに一緒に喜べ、上手くいかなかったときには一緒に悔しがる。そういう点にとてもやりがいを感じていました。
また、これからの日本を作るスタートアップ企業に携われるのもモチベーションでした。優秀な経営者と近い距離で話せ、一緒に業界を盛り上げられるのは本当に面白いと、ジョイン直後から感じていました。
——そのほかにモチベーションとなったことはありましたか?
当時のチームメンバーが牧野・棚橋・中川で、みんなとことん僕の人生に向き合ってくれる人たちでした。僕の発言やマインドを否定されたことは一度もなく、夢を語ると「それを実現するためにはこうしないといけないよね」「もっとこれができそうだね」と考えてくれて。部活動みたいなコミュニケーションを取れるのが面白く、やりがいにつながっていました。
また、牧野への感謝の気持ちもモチベーションのひとつになっていました。実はジョイン直後は失敗も多く、クレームをもらってばかりでした。でも上長の牧野は、1度も怒りませんでした。その背中を見ていたから「この人に迷惑をかけてはダメだ、何か返さなければならない」と思っていました。
——2022年11月のBOXジョイン後、早期に結果を残して8カ月で福岡拠点に異動することが決まりました。異動の経緯を教えてください。
福岡拠点の設立が決まったのは、2023年の6月ごろ。2023年下期の締め会(6月)で突如発表され、拠点長は澤田さんだと聞きました。自分の生まれ育った九州に拠点ができることは、純粋にうれしかったです。でも、ジョイン直後から「拠点を作りたい」と言い続けていた僕ではなく、澤田さんが拠点長として抜擢されたことについては悔しさを覚えました。それで、締め会の直後に角田さんに「最短でいつ1on1の時間くれますか」と声をかけ、1on1で「どうすれば僕も行けますか」と聞きました。
その1on1を経て、僕と、同じく九州出身の工藤が拠点立ち上げメンバーとして福岡に異動することが決まりました。
——拠点立ち上げはどのように進んでいきましたか?
当初は、オフィスすらなく、フルリモートで仕事が始まりました。3人ともエージェントとしての十分な経験があったので、福岡に移った直後からスムーズに業務をスタートできたのですが、それが裏目に出て、個人事業主の3人のようになってしまっていたんです。また、それぞれ頑固なので、なかなか会えないのに、会話をするたびぶつかるという環境になってしまっていて…。
変化が生まれたのは、平田がジョインしたころ。それまでは「いかに自分の成績を残すか」をそれぞれが考えていました。個々が成果を上げることが、拠点の売上を伸ばすことに直結していたからです。ですが、業界未経験かつ、BOXの誰かと知り合いだったわけではない平田七海が入社し、みんなの意識が「七海のために何ができる?」に向き始めました。その後、12月、2月と新しいメンバーが入社し、福岡拠点は「個人事業主の集まり」から、チームになっていきました。
2024年4月、念願の福岡拠点長に。ぶつかった壁
——その後、2024年4月に平岡さんが福岡拠点の拠点長になっています。その背景は?
拠点立ち上げから8か月が経ち、メンバーも増え、業務・組織ともに土台ができてきました。そのタイミングで、東京本社の組織再編のために澤田さんが東京に戻ることが決まり、「司、もういけるっしょ?」と言われ、拠点長のバトンを受け取りました。
——不安はありませんでしたか?
メンバーの段階から拠点長になることを見越し、どうすれば澤田さんを追い越せるかを常に考えて動いていたので、特に不安はありませんでした。でも、いざ拠点長を引き継いでみると、思った以上に大変なことも多くて。特に、拠点長就任から約1ヶ月後の合宿の大失敗は印象深いですね(笑)。
——というと?
拠点長交代を機により組織力を高めようと、ゴールデンウィーク期間の平日を使って、全員で合宿をしたんです。でも、当時の僕はまともにマネジメントをしたこともなく、合宿と言い出したものの、そこで何をしたらいいのかもわからなかった。
きちんと設計しないまま合宿を実施した結果「なんのためにやったんですか?」と僕に批判の目が向きましたし、メンバー同士でも「あのメンバーはどうしてあんな発言をしているの?ありえない」と不満をぶつけあう結果になってしまいました。本当に、「意気消沈」という感じでしたね。
すると複数のメンバーからSlackで「大丈夫ですか?飲みに行きませんか?」とDMが届いて。あの場では上手くいかなかったけれど、みんな僕をちゃんと見てくれているんだと感じました。飲みに行って本音を伝えたら、「そういう風に思っていたんだ」と味方になってくれた。それが救いになって、みんなのためにちゃんと頑張りたいと強く思うようになりました。
——それから組織をどのように立て直していったのですか?
チーム力を高めるためには、合宿のような密な時間を単発で取るのではなく、日常的な会話の時間を増やすべきだと考えました。1on1はもちろん、毎日誰かとランチに行って会話の量を増やし、「一人ひとりのWill」を叶えるために僕が全力で動く、という役割にシフトしていきました。
また、それまで全部自分でやろうとしていた仕事を、この領域は工藤、この領域は海老原…のようにアサインし、チームとしてのスキルの底上げを目指しました。また、これまで「福岡拠点」として目標を追いかけていましたが、それを数人毎のチーム目標として細分化し、目標に当事者性が出るように改めました。
すると、それぞれが何かの領域のリーダーとして動き始め、みんなの目線が変わっていきました。僕の発言や行動はチームのためである、と理解してくれるシーンも増えたように思います。
立ち上げから1年3か月で、メンバー数は8名。課題もまだまだありますが、福岡拠点らしさを生かしながら、どんどん仲間を増やしていきたいと思っています。
活躍の秘訣
——ジョインから1年数か月で拠点長になり、プレイヤーとしても結果を残し続けている平岡さん。成長のために大切にし続けてきたことはありますか?
プレイヤー時代は、圧倒的な成果を出さなければと常に思っていました。そのためまずやったことは誰よりもやること。最初の3ヶ月は初回面談をみんなの倍くらいやってました。
ただ、面談数を増やしすぎると稼働時間の中で対応し切れる量の限界が来てしまったため、このままのやり方ではさらに上の結果を得られないのではと思うようになりました。
さらに、マネジメントを早期に経験したかったため、とにかく効率化をしてプレイング以外の業務をできる余裕を作りたいとも考えていました。
BOXの支援スタイルの良さを活かしつつ効率化するために必要なのは、1面談あたりの濃度を上げること。そう気づき、面談後に必ず振り返りを行ったり、他のメンバーの録画をすべて見て面談を文字起こしし自分との差分を出してみたりしました。
だれよりも面談1時間のクオリティにこだわった結果、ご支援する候補者さんの数は少なくなったのですが、候補者さんへの満足度を上げることができ、結果的にご支援成功まで導ける数は増えていきました。
また、視座を上げてくれる人との会話量を増やすことも大切にしていました。僕の場合は、角田さんの時間を奪い、1on1でフィードバックをもらえる機会を多く作っていました。自分では気づけないところに目を向けさせてくれる機会は、とても貴重でした。
福岡拠点に来てからは、積極的に澤田さんの仕事を奪いに行くよう意識していました。澤田さんの持っている拠点長としての仕事は何かを細かく観察し、この業務は自分でもできると思ったものは剥ぎ取りに言っていました。「これをやらせてください」、やらせてくれなければ「なぜ僕ではできないんですか、足りないところを教えてください」。その姿勢が伝わって、拠点長として抜擢してもらえたと思っています。
——BOXではどのような人が活躍できますか?
素直で明るく、頑張れる人。加えて、自己の成長だけではなく「候補者さんのために」「クライアントのために」と外向きのベクトルを持てる方はBOXにマッチしていると思います。また、福岡拠点に来てくださる方には、九州の地方創生への思い、九州経済への思いを持っていてほしいです。日本のスタートアップ、という広い視野を持ちつつも、それを越える、地域に対しての熱量を持っているほうが、福岡拠点ではバリューを発揮していただけると思います!
——最後に、平岡さん自身の展望を教えてください。
今後も、九州に根差した仕事をしたいという思いは変わりません。ですが。これまであった産業だけでなく、新しいスタートアップを九州で作りたいと思っています。九州が好きで離れがたく思っている人に、チャレンジできる新しい環境を用意したいですね。
地域での活躍の場を作るのは、行政だけの仕事ではありません。今後BOXに入っていただく方にも、自分たちが作っていくという気概をもっていただき、一緒に熱中していきたいと思います。熱意ある人をお待ちしております!